空気系。
http://blog.livedoor.jp/m_s_r/archives/50632371.html
http://blog.livedoor.jp/m_s_r/archives/50629525.html
まず何よりも「空気系」というネーミングが凄く的を得ていて素晴らしいと思った。
やっぱりこうしたマンガやアニメを語る道具としての言葉の定義がまだまだ文化として発展していないのを感じるなあ。こうした文化の最先端にいる僕ら日本人がこれを定義していく必要があると思うんですけどねー。
この部分に凄く同意。こうしてネットでマンガを語る時代だし尚更。言葉を定義すれば分類*1 がし易くなる。
そうなれば自分の好みのマンガを検索して探したりしやすくなるんで無いでしょうか。夢が広がりますねえ
そういえば海外の人にも紹介・・・って書こうとして思ったんだけど空気系って英語でどう訳すんだろ
air system? atomosphere system?
な、なんか仰々しいぞ。却下だ却下。こんなことは後で考えればよい。
自分的にはスクランも空気系じゃない?と思うんですけどどうなんでしょうか。今のところ議論されている傾向には合ってるような。
でも他にあてはまるものは無いかと考えるともしかしてゴルゴ13とかもじゃない?と思ってしまったり。
ゴルゴ13とあずまんがが同じ分類・・・?すいません無かったことにしてください
色々定義や傾向に関して議論されていますが自分が一番思うのは
「そのマンガ・アニメで構築されている世界が主人公になっている」ってことです
その世界が主人公。登場人物は脇役なんです。世界の構成要素でしかない。だから誰がメインになって話が進んでもいい。その世界さえ変わらないのであれば。主人公の設定は変えられませんから。変えては物語に矛盾が生じてしまうからです
ゴルゴ13はその技術で世界を変えていきます。やった。ゴルゴ13は空気系にならないぞ
その世界の外に脇役たちは出ることは出来ない。主人公がすべてを内包する範囲のみで話は動きます。
あずまんがが終わったのは登場人物が卒業してそこにあった当たり前の世界、強烈な個性を持つ登場人物たちが当たり前に高校に通ってほのぼのと学生生活を送っているという「世界」が「卒業」っていう変化でなくなってしまったからだと思うわけです。だからちよが通う高校が主人公。
ぱにぽにも似たようなもの。高校→桃月学園で説明がつく。それにさらに宇宙人とか魔法少女とか・・・その存在が許される世界が主人公
スクランも同じような感じ。すれ違い、勘違いばかりの恋愛感情が支配する高校が世界を作っている。その世界の中で登場人物たちは悩み、行動している。そして沢近さんは素晴らしい*2
ARIAが終わるのはたぶんネオベネチアかAQUAっていう主人公が無くなるときなんです。プリマになっても灯里は今までどおりウンディーネを続けるでしょう。AQUAという善意と良心と理想で出来た主人公の中で灯里はゴンドラを漕ぎ、藍華ちゃんはアル君*3とイチャつき、アリスちゃんは我々を萌え殺し続けるんでしょう。その他どの登場人物の行動も全てはAQUAという世界を前提にしていると思うんです。だからAQUAが主人公。
どうでしょうか?こういう考え方もありかと。
まあこういうネット発祥の言葉*4の傾向としてどんなに定義を叫んで、主張して、考えても結局曖昧になっていきますよね
どっちかっていうと言葉の定義そのものより定義を考えることによってそのことに対する新しい解釈とか分類が考えられていく過程のほうが面白いなあと思ったり。いろんなblogでいろんな方が議論している。その様子を見るのはとても興味深いものです。この件については常に注目していこうと思います